今だけ都会っ子からずっと都会っ子へ

今の身分は大学生で、大学に通うために首都圏に住んでる。
だから、一時的にここに住んでいるという意識がある。すっかり慣れたけど。
大宮での浪人時代を含めると4年数ヶ月住んでることになる。人生の1/5くらいか。


昨日、第一志望に内定が決まって、来年から港区で働くことになりまして。
港区の大学に通っているから生活圏が変わらないという点においては、退屈だけど、安心感もある。

就職を新潟でする気は一切なかった。
1年間浪人して、4年間私大に通って、そこそこに学校生活頑張ってきたのに、レジを打つだけの日々は耐えられなさそうだ。
学んだことを無理やりにでも関連付けられるようなことをしたいなーと思いながら就活してきた。

私の志望業種は多摩とか豊洲とかさいたまとか、いろいろなところに本社が1つあって、基本的にそこでずっと働くような感じ。
どこで暮らすことになるんだろうなぁと思っていたら、そこまで変わらないところで暮らすことになりそう。


内定先が決まった今、このままいけばもう実家で暮らすことはないんだろうなぁと思うとすごく寂しくなる。

会社から連絡がきて、一番に母に電話して報告したら、いつもの興奮した時の高い声で祝福してくれた。
最終面接の前に会社名をメールで伝えておいたから、会社のことを調べていたそうで。
「会社のことちょっと調べたけど、いいとこそうだね」と言ってくれて、そう思うならそうなんだろうなと。
「今まで頑張ってきたもんね」と言われて、人のために頑張ってきた経験が多いとはいえそんなに苦労もしなかったし苦労を親の前では見せてこなかったけど、そう言われるとそうだったのかもしれないと思えて、ありがたい言葉をもらえたなと。
「姪が高熱で大変なの〜」とバタバタしていたから「近々また帰った時にいろいろ話すわ〜」と電話を切って、バイトに向かった。


一夜明けて、改めて母にメールで会社がどういうところなのかを教えたところ、両親が内定先に入社することを賛成していること、就活に対するねぎらいの言葉がかえってきた。
典型的な末っ子で、甘やかされて育ってきたけど、謙虚さが強すぎて、親に迷惑をかけたくないし自立したいという思いはきょうだいの中で1番強くて。
父親には大学進学をする意味がわかってもらえないまま浪人と進学をさせてもらったけど、そこそこの大学に進学してそこそこの大学生活が送れたからきっとそこそこの会社に内定をもらえたんだと思ってくれているはず、思ってもらわなくてもいいけど。でも、こういう結果になって、少しは腑に落ちたんじゃないかなぁと。


これからは親孝行したいという思いが強い。自分のために働くって考えるとかなり疲れるから、そういう自分以外の人のためと考えれば、私の性格上かなり楽になる。
実家へ新幹線1本で帰れるけど、距離はやはり離れているし、もう70歳近いから体のことも心配だし、なるべく親のことも考えながら暮らしたい。


「内定なくても死にゃせん、フリーターでもやっていける」っていう発想、浪人時代にもしていたことを思い出した。
実現したらかなり厳しい発想だったけど、2回とも良い結果で落ち着いたから、メンタル維持に役立っていたのかなーと思った。


GW明け以降に社会人の友達との飲みの約束をたくさんしたから、楽しみだ〜〜〜!
田中の人生を章に分けると、一章が高校まで、二章が就職まで、三章が入社から結婚とかなのかな。(?)
三章にワクワクしながら、二章を充実させたい。バイトでお金を稼がなければ、資格の勉強しなければ。

4月まで約1年あるから、不用意に憂鬱になったりしないように努める。